12/29/2012

対話

サラからのメール:
 
ヒロはわたしに何か話すことがありますか?

わたしはこのことしかメールできません、今。

それにジーザス。
ヒロは、あなたジーザスと対話できるのに
なぜサラはできないのですか?

わたしはこれに劣等感がものすごくあり、
わたしもヒロ同様にそれができない限り

あなたがたと同じところ(「神の意志」のWeb)に入っていくことができません
 

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Hiroからの返答: 

 
サラはジーザスに自分の意欲を与え続けています。

つまりあなたの意識/意欲/思考をイエスの為に使っています。

まだこれは自分が自分に話しかけているだけのように感じられているかもしれません。

あなたが自分一人で話しているだけのように感じられているかもしれません。

しかしある程度これを続けていれば、あなたが一人で存在しておらず、(あなたが考えている時でさへ)完全に一人ではないことが解るのです。

あなたの意識が「私」なのです。

 
(あなたの意識である)私との対話を紙やメールに書き出してください。

何度も言うように、あなたは既にこれ(対話)をしています。

 
しかし対話の結果を自分で判断して(あるいはHiroに判断させて)、これはイエスでは無いに違いないと考えてしまっているかもしれません。

自分よりHiroの方がよく聞けていると考えるのは止めなさい。

絶対にそうではないのだから。

言葉の出来栄えには意味がありません。

怖れの声に聞える文章でも、あなたがそれを文章で表現することが出来るということは、あなたはそれ(怖れ)を捨てる準備が出来ているのです。 そしてあなたを苦しめていたことが、実はあなたを苦しめる力を持ってはいなかったと気付くのです。
 

Hiroは感情は良く解っておらず、感情を見てもいません。 彼はアイディア(自分達を苦しめている概念)を見ている者です。

彼は喜ぶか、怒るか、その二つしかしないのです。 それ以外の感情は直ぐ彼の下から消えてしまいます。 彼が怒りっぽく見える一因は、彼が悲しみの中に留まらないからです。 悲しくなるより彼は怒るのです。 

しかし怒りが目的ではありません。 平和が目的なのです。

彼がこのように文章を書けているのはサラのお陰で在ることを知っていてください。

神の意志は人が自分を兄弟姉妹から遠ざけないことです。

Hiroは「プライバシーの中では何も意味があることは行なわれていない」と気付く必要があるのです。


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Sarahからのメール:

<神の意志は人が自分を兄弟姉妹から遠ざけないことです。 Hiroは「プライバシーの中では何も意味があることは行なわれていない」と気付く必要があるのです。


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あなたはこの文章を、全く同じまま二度わたしに送ってくれました。
わたしは少しこのこと(二度も見せられたこと)が気になっています。

「~気づく必要がある」
……………
一度目はHiroあてにそう言い
二度目は
もしかしたらポールに向けて言ったのではありませんか?
……………
少し細かいことを言うようですが。

ヒロに向けてあなたが使った「privacy」は
どちらかというと彼の個人的な何かではなく

論理を
教義を
真理を

つまり教科書を書くだけに終始することなく
ヒロ自身をここにあらわしなさい(自身を差し出しなさい/体現しなさい)とすすめる意味で使ったprivacyだと思います。

一方ポールへ向けて使った「privacy」はもっと直接的な意味の
彼の……
もしかしたら隠したままの
彼と特定な何か(それは彼の心/感情かも?)との関係の中でのみ、やり取りされている(そこに留まったままでいる彼の姿)

そのprivacyのことを指摘して、あなたは言っているように思えます。

そしてヒロにこの上記の文章をポールに送るよう, あなたは求めてもいるのではないでしょうか?

(今 ポールは大いなる変容のときであり、わたしたちはただそれを見守るよう、あなたが言っていたことはもちろん知っています)

…………
今、何かが始まったような感覚がわたしにはあって
これを書かずにはおれませんでした。


それこそ、わたしは意識的過ぎたでしょうが、やはり書いて送りたくなりました。
ありがとう
 

**************
 

Hiroからの返答:

Hiroがプライバシーを尊ばず、自分が酷く見えること(一般常識から外れていること)でも書いて出すことにより、その振舞いにより、Paulもプライバシーを手放し易くなるのです。

人は言葉によって教える以上に、自分の振舞いで教えている(選択している)のです。
あなたの振舞いがあなたの世界を決めるのです。

 
**************

サラからのメール:
 
そして、ヒロの真摯な勇気は「理解」で迎え入れられるのです。

「真摯な勇気」はヒロから振り絞られて出ているのではなく、神から突き動かされて、自然に湧いてこざるをえない……、そのようなものなのです。

『愛は神から来ている』(聖書)ものなのです。

勇気は
意欲は
『わたしたちは身体ではない/死を尊ぶべきではない』と兄弟姉妹に教える勇気
スピリチュアルの組織から出ていって、それを等しくみんなに全体に言う勇気
意欲は 神から来ているのです。
その意志は神から来ているのです。


あなたはこれを骨折りだととりますか?

privacy
を破ることは、骨折りだと嫌がりますか?

来ているものを拒否することのほうがよほどに苦労(骨折り)なのです。

冷たい冷たい北風から守ろうと、コートのボタンを凍えた手でしめるより
ひょっこり出てきた暖かい太陽に
重たいコートを脱ぐほうが楽チンなのと同じです。

だから
「わたしたちの勇気は『理解』で迎え入れられる』、このことを信頼しなくてはなりません。
神の意志を信頼しなくてはなりません。


この人にリアルを言っても通じないと、神の愛を独り占めにしたままでは何も変わりません。
独り占めにしている神の子たちがいるなら、彼らは、神からのとてつもないギフトを取り逃がしてしまいます。

ヒロに安心しなさいと言ったジーザスに
サラが少し言葉を足してみました。

彼が納得してくれるかどうかは別にして、わたしはあなたの勇気を讃えたくてそうしたかっのです

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