戦争中の彼女の体験を話してくれました。
空襲で家を焼け出されたこと、家と共に全てが燃えたこと、疎開先にトイレも台所も無かったこと、食べ物の為に物々交換することが必要だったこと、
彼女の母が夜何時までも帰ってこないので心配して待っていたら自転車で出かけた彼女の母は深い溝に嵌って何時間もそこに閉じ込められていたこと、
傘がなくて学校に行かなかった時村長さんが傘を貸してくれたのだけれど転んでしまって濡れたので結局学校には行かなかったこと、
母の兄がチフスに掛かり日系の米兵からペニシリンを分けてもらったこと、家をバラックで建て替えたこと、
近所に裕福な歯医者さんの男の子がいたのだけれどお父さんが無くなって貧乏になりお母さんが紐やフックを売り歩いて生活にしていたけれどお母さんが床屋さんと再婚してから男の子は義理のお父さんを鋏で切り付けて少年院に暫く行っていたこと、しかしその後彼と彼の母と妹が一緒に仲良く歩いているところを見かけて安心したこと。
「あなたは、貧乏を知らないし、本当に苦しい経験はしていないでしょう。だからあなたはそのように観念的なことばかり言っているのでしょう。」こう母から言われました。
私はとても乱暴な口調で私は次のように言いました。
「ある。 それは自分の親を殺してしまおう、親を殺すしかないと思うことだ。」
それから私はこう言いました
「あなたが空襲に遇っているころ、私はアメリカの白人男性として生きていました。一生懸命家族と国家の為に兵器の研究をしていました。日本はとても攻撃的な国として喧伝されていました。 そして原爆が発明されました。私は非常にそれを恐れ、もう生きる気力が無くなった死んでしまいました。すると次の瞬間には、あなたの息子として生まれていました。」
母「それはあなたの夢ではないの?」
わたし「そうです。 自分が体ではないと気付いた時、今現在の体験も夢に成るのです。 {でもあなたも私も消えて無くならない。}」
「人は全員一人残らず繋がっています。だから誰か一人が苦しんでいるのなら、誰もそれを無視は出来ません。それに気付いた時、争いや競争は無意味だと解るのです。 私があなたにこれを言うことにより、人がこれをよりわかり易く、言い易くなるのです。」
私のWEBを幾つか母に見てもらいました。
母の感想は「これは難しく見える。 もっと分かり易く書きなさい。」でした。
わかりました、そうしましょう。
11時半に話が終ったので、大根の煮込みを食べて、母とハグしてから自分の家に帰りました。
母にはわたしに言いたいことがあったのです。 私はそれを聞きました。
過去に捕らわれないことは、母を無視することとは別のことなのです。
彼女に言いたいことがあれば、私はそれを聞く必要があるのです。
そして否定しなくては成らないことは否定するのです。
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