9/05/2012

葡萄園より2

(筆者に向かって)あなたは躊躇していますね。 この話に整合性があるか調べ疲れるまで立ち止まる積りですか?

昔の中に真実があるのではなく、今に真実があるのだから。
この話がどのように現在に当て嵌まるか考察しなさい。
この話が現在の何を言い当てようとしているか聞き取りなさい。

 
寺院は祭壇と同等で、祈りの家、人が神と繋がる場所、人と神が繋がっているべき意識の場所です。
イエスは寺院に入り、ビジネス/取引をやめさせ、教えを述べます。
するとイエスの教えに対する反発が起こります。
イエスの教えは、寺院/教会の権威を認めず、法律家の権威も認めず、社会の権威(村の掟)も認めなかったのです。

 
『あなたはどのような権威の下にこの教えを話しているのか?』そう問われたイエスは、
『その地で多くの人々の信心を集めていた洗礼のヨハネの権威が何処から来ていたと思うか?』と問い返します。

宗教家や法律家や族長達は、一人の野人であったヨハネの権威は自分達の権威とは別のものと考えていましたから、それが神から来ている(それが正当なものだ)とは言いたくありません。

しかし民衆を怖れている彼等は、ヨハネを否定したなら身の安全が確保出来ないと考えています。

だから彼等はイエスの問いに答えることが出来ません。

すると「では私もあなた達の問いには答えない。{正直でない問いに対する正直な答えは存在していない。 正直でない願いに対する、回答/解決は存在していない。}」とイエスが言います。


葡萄園の寓話は、『人は神の意志を退けようとしてしまう、しかし「神の権威(神の意志)から離れた人の意識」は時間の中で消滅してしまうこと』を言い表しています。
それを聞いた人々は「そんな事があってはならない!(そのようなことがありませんように。そのようなことは信じたくない)」と言いました。

するとイエスは、あなた達が信じている旧約聖書の中にもそのことは書いてあると言ったのです。

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