9/05/2012

葡萄園より1


ルカの福音より
 

イエスはイスラエルにあるユダヤ教の寺院に入り、商人達をそこから追い払います。
イエスは彼等に言いました。『「私の寺院は祈りの家と呼ばれるだろう。」と神が言ったと聖書には書いてある。しかしあなた達はそれを盗人の巣窟にしてしまった。』

 
イエスはそこで毎日教えを述べ始めます。 司祭長と法律学者と長老達は彼を殺そうと思いましたが、全ての人達が彼に聞き入っていたので、手の出しようがありませんでした。

ある日イエスが寺院の中で良き知らせに関して人々に教えていた時、司祭長と法律学者と長老達がやって来て「これらのことをする権限をあなたはどこから得ているのですか? このようなことする権威を誰があなたに与えたのですか?それをわたし達に教えて下さい。」と言いました。

イエスは彼等に言われた。「まず私はあなた達に質問を訊ねよう。それに答えて欲しい。(バプティズマの)ヨハネの洗礼を与える権威は神から来ていたのか、それとも人から来ていたのか。」

彼等はお互いに話し始めた。「どう言ったら良いだろう?もし『神からだ』と言ったなら、『では何故あなた達はヨハネを信じなかったのか?』と彼は言うだろう。 しかし『人からだ』と言ったなら、この民衆がわたし達に石を投げ始めるだろう。何故なら、彼等はヨハネが預言者だと信じ切っているから。」{司祭達は「自分達が信じていることを今言ったなら殺されてしまうだろう」と考えた訳です。}

彼等は答えた。「それがどこから来ていたかわたし達は知りません。」

するとイエスは彼等に言った。「では、どのような権威によって私がこれらのことをするのか私もあなた達に言わない。」
 

ルカ(20:9)

そしてイエスは次の例え話を人々に語った。

むかし葡萄園を作った人が居た。その人は葡萄園を農夫達に貸し出して長い旅に出た。

葡萄を収穫する時期が来た時、彼は召使を農夫達の元に送って収穫の内の彼の分け前を受け取ろうとした。 しかし農夫達は召使を叩きのめし手ぶらで帰らせた。

だから彼(葡萄園の主)は別の召使を送り出した。 しかし農夫達は彼も袋叩きにし屈辱を与え空手で帰らせた。

彼(葡萄園の主)は三人目の召使を送った。農夫達は彼(召使)にも怪我をさせ外に叩き出した。

「私はどうしたらよいだろう?私の愛する息子を遣わそう。彼等(農夫達)も彼(私の息子)なら敬ってくれるだろう。」と葡萄園の主は言った。

しかし彼を見た農夫達は「これが主の子だ。彼を殺そう。そうすればこの土地は我々のものになる。」とお互いに言い交わし、彼を葡萄園から投げ出し、彼を殺しました。

「彼(葡萄園の主)は出て来て、これらの人達を滅し、葡萄園を他の農夫達に与えるであろう。」
 
{イエスの話を聞いていた}人々がこれを聞いた時、彼等は「そんな事があってはならない!(そのようなことがありませんように)」と言いました。

イエスは彼等を見て「それでは、次のScripture(旧約聖書の一部)は何を意味しているのか?」と訊ねました。

 『無価値なものとして家造り(大工)が打ち捨てた石こそが一番大切なものである。(一番大切なものになる。)』

その石の上に落ちた者は全員切り刻まれ、この石が誰かの上に落ちたなら彼は微塵に打ち砕かれるだろう。 

 
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 上記は「未来に起こること」を説明しているのではなく、「現在起こっていること」を言い表しています。

命の源である神の意識を無視し続けながら生き続けることは不可能です。

人が打ち捨てた石(人が無視している意識/気付き)こそが一番大切なものです。

葡萄園の主が神で、召使や息子は(神の意志を伝える)メッセージでありメッセンジャーです。

神のメッセージが無視されている状態が葡萄園の中(人の意識の中)で起こっていることです。

人の意識の中では神のメッセージが無視されている(殺されている)のです。

 
神は人を殺す意志は持っておらず、人が自分を殺害しているのです。

人が自分の中の神を全て否定し拒否してしまったなら、自分が打ち殺されてしまったように感じるでしょう。

 
聖書のこの部分に言い表されていることも権威問題(神の権威に関する誤解)です。

神の権威を法律に転換していた者達を私はいさめた。

神の権威を書物と取り違えた者達を私はいさめた。

神の権威を人の権威と取り違えていた者達を私はいさめた。

神の権威を自分達の権威への約束と取り違えた弟子達を私はいさめた。

 

だから私とひとつに成ったなら、あなたもいさめるでしょう。

もしかしたらあなたは嫌われるかもしれない。

それを厭うのは止めなさい。

言うべきことを言ってギフトを差し出したなら、あなたは自分の役目を果たしている。

「あなたのギフトは愛ではない。そんな事があってはならない!」とあなたに言う人が居たなら、もう一度私に訊ねなさい。

その人が説明を求めたなら、その時も私の言葉を手渡しなさい。

私は葡萄園の主に成る為に送られていたのではない。葡萄園の状況(人の意識の状態)を知らせる為に私は父から遣わされているのです。

 

 

サラ: 神の権威とは何ですか? 私はたった今、たまたまこれ(シナリオ)を読んでいました。
 

生きている神は、生きている人とひとつである神です。

神の権威が動かす。

神の権威があなたを動かした時、...

つまり神の意志と権威は同じものです。
 

サラ: ありがとう。神の威力とはたんに 『永遠』 “脅かされない” 神の意志、意識…神の全て全て。このことの力強さを言っているのだと思います。 「つくられし者が、なぜわたしを このようにつくったか、というだろうか。」(聖書)をつい 思い出しました。
 

リアリティは関係で繋がっている。リアルなものは、独立的に切り離されて存在してはいない。全ては全ての中に内包されているから。 

人は神との関係によって設立されている。

しかし人は自分を神から切り離して、自分と他者の関係を作り続けようとしてしまう。

神(意識)ではなく体(分離体)を自分の神(意識の源)として考えてしまう。

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