12/27/2012

概念

私はここで何を聞き何を言うべきでしょうか?

 

「わたし達は体ではない。」

「死を尊ぶことは馬鹿げている。」

これらをWEBに(本に)書くだけなら今までも沢山の人達が行なっています。

これらを仲間内だけで言い合うなら沢山の人達がもう行なっています。

 

遅かれ早かれ、あなたは身近な人にこれ(わたし達は体ではない。死は尊いものではない。)を言うのです。 

 

勿論私程酷い言葉を使う必要はありません。

落ち着いてそう言えるなら、その方が良いでしょう。

でも、もし大きな声で言わなくては言えないのなら大きな声で言ってください。

もし震える声で言えなくては成らないのなら、震える声でも言ってください。

泣いてしまったなら、泣きながら言ってください。

(どのような言い方にしろ)まず言えるように成ることが一番重要です。 

落ち着いて言えるように成ることは後からついて来ます。

人にこのこと(わたし達は体ではない。死は尊いものではない。)を伝えようとしたなら、あなたは抵抗を受けるかもしれません。 (まだ人の世界/意識は分離的体と死で出来ており、それらを尊ばない者は蔑まれてしまう傾向があるから。)

それでもこれを言う。それでもこれが言える。 これが体現の第一歩です。

 

これを言っている私はとても平和からは程遠いように見えるかも知れません。

神に自分を本当に譲ったなら、あなたは言葉は選べません。

言葉を選ぶあなたはそこにはいないのです。

私は今日も両親と夕飯を食べました。 私は両親を私から遠ざけません。

私は攻撃したり非難したりするために言葉を使いません。 私は真理の為に言葉を使うのです。

 

「概念/アイディア/定義があなたの体験を作っていること」を私はあなたに教えるのです。

あなたがあなたの概念から解き放たれるように。

そして真理を聞いたあなたはそれ(真理)を体現するのです。あからさまにそれを言い表すのです。  

あなたは人に教え、人に教えることにより、あなたは教わるのです。

 

私はあまりに性急でしょうか? 2000年以上に亘って同じことを言っているだけなのに。

勇気をもって、あえて私を言い表しなさい。

あなたはあなたの聖霊に従いなさい。 

そしてこれはあなたの為に既に行なわれているのだから、安心してください。

真摯な勇気は理解で迎え入れられるのです。

あなたが私に譲った時、あなたのためらいを破って、私は現れるのです。

あなたが多くためらっていたなら、私は強く現れるでしょう。

あなたが少しだけためらっていたなら、私は静かに現れるでしょう。

 

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