5/02/2013

夢の人物


あまり取り上げられてこなかったこと、あなたが自分で取り上げることを躊躇して来たことに関して説明しましょう。

次の部分をもう一度読んでください。

 

Ch28-03

“体の中のマインドは、分離したマインドを持った無数の他者が存在している世界は、あなた達の「創造」なのです。 

{あなた達が作っている世界観の中では}「他のマインド」というあなたが「あなた自身とは異なった結果」を作っているのです。

そしてそれら(世界の中に居る分離したマインド達)の父として、あなたはそれら{分離した体の中のマインド}と同じで在ることに成ってしまうのです。

 

ここで起こっているのは「あなたがあなた自身を眠らせ、あなたがあなた自身に対して異邦人(エイリアン)であるという夢を夢見ており、あなたが他者の夢の一部に成っていること」だけなのです。

奇跡があなたを目覚めさせるのではなく、奇跡は「誰が夢見ている人なのか」あなたに示すだけなのです。

あなたがまだ眠っている時点で、奇跡は夢の中に選択が存在していること(異なる夢を選択することが可能であること)を教えるだけなのです。

あなたは癒やしの夢を望んでいるでしょうか? それとも死の夢を望んでいるのでしょうか?

夢もまた記憶のように働くもので、夢は「あなたの希望をあなたに示している絵」なのです。

それ(あなたの希望を示している夢)はドアが開いている空の倉庫で、あなたの全ての記憶と夢がそこに保持されているのです。

 

もしあなたが「夢見ている人」だったなら{そう認めることが出来たなら}、少なくとも下記のことが知覚されるのです。

「あなたが夢を発生させており、あなたは他の夢を受け入れることも可能である。」

しかし夢の内容にこの変化が起こる為には{あなたの夢がハッピードリームに成る為には}、「あなたが嫌っているこの夢をあなたが見ているのだということ」が認識されなくてはならないのです。

これ(夢)はあなたが起こした効果/結果なのです。 

しかし、あなたはこの効果/結果の原因には「成らない、成ろうとしない」のです。“

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では、世界は夢で、世界はエゴが作ったもので、あなたは世界を捨てるのでしょうか?

同じセクション内の下記の言葉を読んでください。

“世界はニュートラル(中立)で、「分離したものとして動き回っているようにまだ見えている体達」を怖れる必要はないのです。”

“この世界は奇跡に満ち溢れています。 「罪と罪悪から来ている痛みと苦しみの夢」の隣には輝ける奇跡が静かに立っているのです。”

つまりここではエゴが作ったものが世界であると言ってはいません。

 

そして、

“奇跡とは夢のアルタナティブ(夢の中に現れている選択肢)で、夢を作り出している働きを否定せずに、自分が夢見ている人であることを認める選択なのです。

奇跡とは(病の結果を病の原因の下に戻すことから来る)喜ばしい効果/結果なのです。

「これは私に対して行われていることではなく、私がこれを{自分に対して}行っているのだ」とマインドが認めているので、体が解放されるのです。“

 

つまり「自分がこれ(分離の夢を作り保つこと)をしているのだ」とあなたのマインドが認識した時、あなたの体が解放され、限定された体からあなたが解き放たれて、あなたはもう縛られていないのです。

するとあなたはもう自由なので「夢の登場人物」には左右されなくなり、「夢の対称性/相関性」を理解することが出来るのです。

 

あなたの兄弟姉妹を見て「彼は夢の登場人物に過ぎない」と考えることは正しくありません。

しかしあなたは兄弟姉妹(他者)を見た時にまだ夢の中で彼等を見ているのです。

確かにそこには兄弟姉妹が本当に居るのですが、あなたと兄弟姉妹はひとつであって、切り分けられたアイデンティティ(体)は持っていないのです。 自分達は同じひとつの存在であると認識する為にあなたは兄弟姉妹と出会うのです。 しかしあなた達は合一を避けようとしてしまう。 

まずあなたは兄弟姉妹(神の子供)を覚えていない。だからあなたにとって彼等は身体として見える。

5/01/2013

ストラクチャー


ジョギングとか水泳とか運動している時の方があなたの言うことが容易に聞えるのだけれど。

コンピュータの前に座るとちょっとイマイチなんですが?

ラップトップで外に出て書いたほうが良いんですかね?(今は夜だけど)。

そうそう、ストラクチャーに関して何か言ってましたね。

 

___

ストラクチャー(構造)

あなたは直ぐに翻訳作業に逃げてしまう。

それはあなたがストラクチャを好んでおり、ストラクチャー(確たる構造)故にACIMを好んでいるから。

必ずしもストラクチャは必要でないのですが、ストラクチャーが見えている方があなたは安心するのです。

そしてACIMのストラクチャーがあなたの関心を引き続けています。

そして自分の中にあまりストラクチャーが見当たらないので不安なのです。

最終的にはストラクチャー(構造や様式)に依存することは必要でなくなります。

例えば、既に書かれている英文はハッキリした構造をあなたの前に示しているので、あなたはそれを殆ど数式を同じように見て理解することが可能で、その理解を私から受け取るインスピレーションと付き合わせて確認しているのです。

ストラクチャーは{何かを表現した後で}最終的に表れて見えるもので、あなたが文章を書いている時にはそれは(その全体像)は見えていません。

だからストラクチャーに頼る気持ちはあなたを助けません。

言葉

あなたは求めなかったか?

イエス・キリストが居るのなら、自分にも話しかけて欲しいと。

神が全知全能であるならば、日本語でも話して欲しい。 何故イエスは日本語を話さないのか? それが出来るならそうして欲しい。 それが出来なのならあなたはそれでも神なのか?と。


あなたは訊ねなかったか?

あなたは日本語はわからないのですか? と

 
私は全ての人なのだ。

だから私は全ての言葉がわかる。

だから私は全ての言葉を喋ることが出来る。

あなたがそれを許すのならば。

私はあなたと話すのです、どのような囲いも造らず、どのような隔たりも作らずに。
だからあなたもそうしなさい。

4/14/2013

Sarah:
父の意見が何かあるなら聞かせてくださいね。ありがとう


Hiro:

神が居るので、あなたが生きており、

あなたが生きているので、全ての人々が生きています。

全ての人々は「ひとつのもの」としてあなたと一緒に永遠に生きています。

復活とは「あなたが決して死ななかった、故に誰も一度も死んでなどいない」という気付きです。
 

Sarah:
『復活』とは「気づき」
「気づく」と、「死体にならない」とは異なるのでしょうか?『復活』とは答え/真理そのものというより、真理を知るきっかけになる言葉ですか?ジーザスの復活(と人に言われてきた/定義されている/認識されているこれ)は真理のまっすぐな体現ですか?それとも示唆/デモンストレーションですか?
神の子はジーザスを、少なくとも身体を持っている神聖な人間として彼を超えられますか?


Hiro:
不死身(永遠)のあなたが既に存在しているので、

それに気付けばよいだけなのです。

 
Sarah:
サラはアホなことをつらつら書いて質問したみたいです。
気づけばよいだけだったのなら。
サラはこれにて退散!

 
Hiro:

「気付けばよいだけ」

これが一番重要で、誤解されている部分です。

 
Sarah:
偉大なパパとスゴいヒロのお二人さん、アホなサラも少しばかり思いあたるふしがあります。
あなたがたがおっしゃったのは、あの本で聞き覚えのある「神の子が求められている少しばかりの意欲」とかいうことを指しておられるような気がしました

重要なことはわかりました。そして誤解されていると言われたのはどういうことか、もう少し話してくださればわたしは助かります。
わたしたちは(『復活』を)どのように誤解してきたのでしょうか?

Hiro:
それ(復活)は外に見えることではなく、気付きなのです。

それは体の目に見えていることではなく、あなたの中に見つかる生きている炎なのです。
 

Sarah:
なぜわたしたちに見える目と話す口と聞こえる耳をあなたは与えてきたのですか?
わたしたちが勝手に自分に与えたのですか?あなたの意思をねじまげてまで。
燃える柴から話したという「あなた」に向かって、ちょっと言い返してみたくなりました。
そんな跳ねっ返りなことして無駄口たたいているより、コースを最初から読めば?(みんな書いてある)ときっと笑われるでしょうが

 
Hiro:
神は見える目と話す口をあなた達に与えました。良きもの(創造)が体験/体現出来るように。

神の子が「それ以外のもの(良き創造以下のもの)」を見ようとした。

神の居ない創造を試してみたかったから。 

それはリアルには為されなかった。

しかし神の子は偽の記憶(知覚の歪み)に囚われてしまった。
 

Sarah:

あなたがたは今たいへん革新的で、かつもっともコアなことをおっしゃってくださいました。
他の人はどうあれ、サラにはとてつもない真実をくださいました
少し生意気な口をたたくのを許してください。
ヒロ、この文章はたくさんのコースを知らないわたしたちにもとても理解できる素晴らしい文章です。

 
Hiro:

 
今日もSarahのおかげで沢山書けました。 ありがとう。

「自分は既に知っているから、いまさら読まなくても良い、書かなくて良い」とHiroはよく言うのですが。

彼は(彼がまだわかっていないことではなく)彼が既に知っていることを書いて、体現するべきなのです。それが彼の役割なのだから。

未だわかっていないことが体験されるのは、それからなのです。

  

何故モーゼに燃える柴が見えたのか? それは燃える炎(自由な意識)がモーゼの中に在ったからです。

自由な意識が彼に話し掛け、奴隷を鎖(縛られた意識)から解き放ったのです。

そしてモーゼが自由に成ったから、(モーゼの兄弟姉妹である)エジプトの奴隷も自由に成ることが出来たのです。
 

 
不死鳥(フィニックス)は火の鳥とも呼ばれています。

この鳥は定期的に自身を炎の中に投げ込んで新しく成るのです。

 
あなた達の中には永遠の炎が在って、それが全てを新しくするのです。

しかしこの炎はあなた一人の中(限定された意識の中)では乏しく消えてしまうのです。

だから拡張(差し伸ばし)が必要なのです。

「聖霊が正しい知覚/認識を拡張すること」をあなたの裁き(思考/知覚)で邪魔してしまわないように、あなたが静かに成ることが必要なのです。

 
 
Sarah:

 
また乏しく消えてしまわない方法”―、方法というのもおかしいけれど、その炎を絶やさないためにどうしなさいとあなたはわたしたちに教えているのですか?

 
Hiro:

「炎を絶やさない方法が赦しである」と考えてください。

「炎を消してしまってるもの」が「罪、分離的思考と振舞い」です。

 
Sarah:

「赦し」という言葉以外をあなたはお使いになれますか?

 
Hiro:

赦しは「知覚/認識の置き換え」で、これは聖霊の技です。

赦しの結果が分離の解除です。

 
赦しによって「分離的な知覚」が「包括的な知覚」で取り替えられるのです。

その結果として「分離的状況」が解除されます。

赦しによって「分離的な世界の体験」が「ひとつのもの」で取り替えられるのです。

その結果として「病/死/葛藤の状況」が解除されます。

4/06/2013

Sarah:

ヒロのACIMの理解は、ヒロが過去を記憶していることからも来ていると父は言ってたようですが、これはどういうことでしょうか…?
 

Hiro:

人は永遠の命を授かっています。

しかし人は死ぬと思っており、死を体験し続けてきました。

しかし本当は死ねないのです。

だから死んだと思った途端(場合によってはある程度の移行期間の後)また生まれて来るのです。 (しかし実際には生まれてくるのではなく、全く死んでいないのです。)

この体験が輪廻と呼ばれており、これは幻想なのですが、死が存在すると考えている限り人はこれ(輪廻/転生)を体験し続けるのです。

このメカニズムによって「永遠の命を持っているあなた達」が死を体験しているフリが出来るのです。

 
Sarah:

「メカニズム」 これを一文で説明できるなら、もう一度言ってみてもらえませんか?

 

Hiro:

生まれ変わりのメカニズムは、SEX(性の分離)です。

一つのものを無理矢理、男性と女性に切り分けたことにして、男性あるいは女性に成ったフリを続けるのです。

そしてSEXから子供が生まれることにしてあるのです。

 
Sarah:
もしかしたら catholicでいう『原罪』とは、そもそもあなたが今いった性の(無理矢理の?)分離から来ていますか?

 

Hiro:
「原罪(Original Sin)」は分離です。

「神から分離した自分を作りたい。 神から分離している体を自分の源(根源)にしたい。」という願いがあり、それにより知覚(体の感覚器を通して認識すること)が必要になったのです。

 
Sarah:

「アダム(男性)の骨からイブ(女性)を作った」
これは何ですか?デタラメですか?人間のおとぎ話に過ぎませんか?
創世記はなぜあるのですか?

 
Hiro:

神は人を作ったのであって、男も女も作りませんでした。

地球上の多くのものが男性性と女性性(陰/陽)に分かれているように見えているのは、

それが「人の二分化(分極化)された意識」を反映しているからです。

二分化された意識とは「良きものと悪しきものが存在し、それらを自分の意識(分離した意識)で見分けることが出来るという考え」です。

しかし神は全てを一つのものとして創造し、それを良きものにしたのです。

 
Sarah:

「神から分離した自分をつくりたい」

この自分は魂/霊/こころこれらであっては成り立たない文章ですね。なぜなら本来的にこれらは「分離」不可能な性質のものだろうから。

ただ「からだ(物体?)」という選択肢だけがあるのですね、 分離した自分をつくることにおいて。

またあなたは端的に言って、 からだを持った人間を間違いとみているのですか?馬鹿だと。{仰っているのですか?}

 

Hiro:
身体の感覚器(目/耳/鼻/触覚/味覚)だけに頼っている人には霊が認識出来ません。

それは体(肉体)が霊から切り離されているものとして作られているからです。

体の目を使って霊(スピリット)を見ることは出来ないのです。

霊の声は空気を振動させません。

霊のタッチは肉体を掴みません。

それでも霊はあなたに呼び掛け、あなたを揺り動かし、あなたにヴィジョンを見せるのです。

 「神が実在しているなら、何故私には奇跡が体験出来ていないのか?」多くの人達がそう嘆いています。

感覚器(目/耳/鼻)を使って霊を捉えることは出来無いのです。

それでも私はあなたに話しかけています。必要なのは私に譲る意欲です。

 
Sarah:
「私に譲る意欲」が何をわたしに(からだを持った人間であるわたしに)連れて来るのですか?

 
Hiro:

「あなたと創造の全てを繋いでいる霊」への気付きです。
 

Sarah:
また(人間の)感動とか霊に撃たれるとか霊的エクスタシー……などなど。これらはでは、あなたはどう説明してくださるのでしょう。

 
Hiro:
霊によって動かされていることに気付いた時(自分が霊に触れている事に気付いた時)あなは「感動」します。

霊は動き全てを結び付けると同時に、常にあなたを作り続けています。