11/14/2012

フィリップKディックはACIMの夢を見ていたのか? 

http://www.youtube.com/watch?v=jXeVgEs4sOo&feature=related


私は「偽の世界/幻想の世界/プライベートな歪んだ世界」を沢山の小説に書いて来ました。
殆どの場合、その世界の中には一人の人だけが住んでおり、その他の人々も自分一人だけで存在している自分自身の世界に住んでおり、時には奇妙な世界(他者の一人世界)の中に引き込まれて行くのです。

今まで執筆生活を27年続けてきましたが、これらの複数世界(偽世界)に対する私の確執への理由は自分でも解りませんでした。

しかし今私はその理由を理解したと思います。

私が感じていたのは多数の部分的に現実化されたリアリティで、それは一番確実に現実化された世界{わたし達の最多数が常識の上で合意している世界/一番強く相互合意されている世界}と隣接しているのです。


その日の午後、私は自宅でソディウム・ペンタソル(チオペンタール/沈静効果を持つ麻酔薬)を摂取しており、まだその効果が確実に残っていました。 私は短い閃光のように{断片的に}記憶を取り戻しました(フラッシュバック)。
その一ヶ月後の五月中旬、同じ記憶の全容が完全な形で戻ってきたのです。

私の言うことを信じてくれても信じてくれなくても結構ですが、私は冗談を言っているのではなく、とても真剣で、これは重大なことなのです。


その時私は自分が何を見ているか解りませんでした。
それは私がそれまでに見たどのようなものにも似ていませんでした。

それはプラズマ・エネルギーのようで、それは色を持っており、それは素早く動き。
それは一点にまとまり、それから消え去りました。

しかしそれが何だったか? 彼が何だったか? 私は今でも解りません。
 

つまりこれ(次に述べること)は私の小説の中に頻繫に現れる主題なのです。
黒い髪の女の子が主人公の前に現れ「あなたの世界は幻想だ、あなたの世界は何かが間違っている」と告げるのです。 {このような主題の小説を私は沢山書き続けたのです。}

 そしてある日、私はこれを実際に体験することになったのです。

彼女の髪が黒いであろうことを私は既に知っていました。

「彼女がどのような姿で現れ、そして何を言うか」私は完全に予知していました。

{体験が起こる前にプリコグニション(前知)が与えられていたのです。}


現れた彼女は今まで私が全く会ったことの無い人で、彼女が次の事実を私に知らせたのです。 「あなたの書いた小説の幾つかは本当なのだ。」

私は沢山の小説の中にこの夢に関することを書き続けました。
その中で一番酷いリアリティを書き示したものが「高い城の男」(アメリカの半分がナチスドイツに統治され、もう半分が軍事主義国家日本によって統治されているリアリティ)と「流れよわが涙、と警察官は言った」(アメリカが秘密警察国家に成っているリアリティ)です。

私は正直に話しましょう。

私はこれら二つの小説を奴隷状態の世界に対する「残された記憶の断片(フラッシュバック時に得たヴィジョン)」を元に書いたのです。

つまり(前世を覚えているという人々もおられますが)私は(普通に現実だと思われていることからは)全く異なる現在の実生活を覚えているのです。 

{これなの、これが出来て、これを書き続けたい人が小説家とか作家なの。 訳注}

他の人がこのようなことを言った例を私は知りません。

しかし私の体験はそれ程特別なものではないと思います{沢山の人が同じような体験をしているのだろうと思います}。

しいて言えば、私がこのことに関して自ら話そうとしていることが珍しいことかもしれません。
 

{沢山の小説家/漫画家/芸術家が同じ体験をしており、作品の中にこのことを書いています。
石森章太郎さん、この人は009の未完の天使篇(神との戦い)のプロローグでほぼ同じことを言っています。 彼の病室に(黒髪の女ではなく)ギルモア博士が現れ「あなたの漫画はもう一つのリアリティを書いたものなのだ」と石森章太郎に言います。

手塚治さんは火の鳥と自分の対話を作品内に書いており、自分は伝えられたことを知らせる為に作品を書いていると表明していたはずです。 

つまりあなたのアイディアの中の登場人物が現れ「あなたのアイディアはあなたのリアリティ/現状を反映している」と告げるのです。 その時「自分は自分のアイディアの一部なのだ」とあなたがあなた自身に向かって言っているのです。

ジュール・ヴェルは未来を透視し将来のテクノロジー/戦争/日本の発展などを予測し、小説にも書いています。

それから告白していないけれどレオナルド・ダヴィンチや萩尾望都さん(時間を超越するバンパイア=ポーの一族、時間を操作する超人=銀の三角)も明らかにこのタイプの体験をしています。

杉浦日向子さんは、自分は江戸と東京を毎日行き来していると言っており、そしてそのことをかなり明確な形でエッセーに書き残してもいますね。 
これらのことは体験無しでは書けないのです。 訳注}

 
わたし達はコンピュータ・プログラムの様なリアリティ内に住んでおり、{この世界が偽者であるということに関して}わたし達に与えられている手掛かりは、「何らかの変数(要素)が変えられた時、わたし達のリアリティ/体験がそれに対応して変化する」ということです。
{このことに気付いた時}「自分達は現在のディジャブーを繰り返し生き続けているのだ」という感覚が起こるのです。 全く同じ言葉を聞いて同じ言葉を言っている状態に我々は陥っているのです。

私はこれらの観察がリアリティを言い当てており重要なものであると提起します。
これらの感覚{わたし達が時おりデジャブー/既視感を感じているのは}は「過去において要素が変えられプログラムに取り込まれ、その結果としてアルタナティブな世界(今までとは異なった世界)が枝分かれしている証拠」であると、私は主張したいのです。

{世界の要素が変えられ、それに伴ってプログラムが書き換えられている時に、世界の様相が変わり、その変化をわたし達は既視感(私は以前にもこれを体験しているという感覚)として体験するのです。
以上


{これ(世界の要素の変更)を個人レベルで出来ると仮定して書かれているのが萩尾望都の「バルバラ異界」です。ここでは「事故で亡くなった息子(実は血が繋がっていない義理の息子)を生き返らせてくれ(プログラムを書き換えて欲しい)」と主人公が夢の中の人物に頼んでリアリティに戻ったら、自分の息子が入れ替わってしまいます。 幼少時に死んだ筈の息子(実子)が生き残りそのまま自分の息子として成長しており、そしてそれまで自分の息子として存在していた筈の義理の息子は夢の中に回収されてしまうのです。  
しかし萩尾さんは物語を面白く語ることを絶対手放さないので、物語を大きく破綻させてその軋轢の中からリアリティを浮き上がらせようとし続けたディックよりも上手く物語をまとめてしまうのです。 ディックの小説は隠されているリアリティを暴き出すことを第一に考えられており、エンターテーメントとしては余り上手く機能していません。しかし彼は啓示的なアイディアに拘り続けた人です。}
 
{プラズマ・エネルギーの部分は私も体験しています。薬は嫌いなのでドラッグはしていませんでした。それについてはまた後日。
黒髪の女性は一説では日本人だとか。私はお会いしていないです。}

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