2/21/2013

修復

Sarah:

『それ自身が問題を解決する』

こうあなたは教えてくれました。

もう少し、今日 話しを足して書いてくださらないでしょうか、ヒロ。

この前はお金とか明日自身とか
これらで わたしは尋ねました。

できれば 今日は「人間関係」で これを話してほしいのです。
もちろん 問題の種類にかかわらず 真理はみな同じだとは思いますが
 

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Hiro:

 

「違いは対立/闘争を生まざる得ない」という考え(概念)があります。

「体が自分なのだ、自分は体としてこの世界の中に生まれ落ちて来た者なのだ」という考えがあります。

それら二つの考えが極限まで推し進められた時「殺人」がその答えです。{殺す必要(特定の体を排除する必要)が示唆されてしまいます}。

 

しかしこれら二つの考えは「幻想/間違い」であり。 これらの考えをもとに行動すればする程、反対の力(抵抗力)が掛かります。 それはゴムを引っ張れば引っ張るほど、引き戻される力が強くなる様な感じです。

この引き戻そうとする力が「解決/修正」をもたらします。

しかしこの力(修正/修復力)を「思考」でコントロールすることは不可能です。

「静けさ」が必要なのです。

しかし「努力が全く必要ではない」と言ったなら誤解が生じるでしょう。

自分の考えだけに基づいて自分だけでどうにかしようとする必要はないのです。

常に新しいこと/ものが生まれ続けているので、「考え」では「今」に対処できません。

しかし「わたし」があなたの中に飛び込んで行くのです。

するとあなたは気付くのです。 修復が起こっていることに。

あなたが修復を起こしているのではなく、修復は起こっているのです。

するとあなたは修復と共に動くのです。

 

言葉によらないコミュニケーション(言葉には直接表されていないコミュニケーション)の方がより影響力が強いのです。

言葉に表れないコミュニケーションは、しばしば行動により表されています。

 

さて ACIMには「あなたの兄弟をジャッジするのは止めなさい」と書いてありますね。

これだけを読めば、『自分の兄弟/同胞に対して「あなたは間違っています」と言ってはならない(言っても無駄)』とも受け取れます。

しかし聖霊がジャッジ(判断)するのです。 そして何をするべきか、何も言うべきか精霊があなたに知らせるのです。

これが求められている「コミュニケーション」です。

これを基にあなたの兄弟と関わり合うべきなのです。

 

例えば「二人の人達」が居たとしましょう。

彼等はそれぞれが真摯に聖霊の声を聞き取り、その指示に従って行動しようとしていたとしましょう。

その二人に聞えていることに食い違いがあったとしましょう。

あなたがACIMを勉強している人に「あなたは間違っている。」と言ったとしましょう。

その人は黙っているかもしれません。その人はあなたに反論するかもしれません。

いずれにしろ聖霊の声と共にあなたが行動したなら、事態は(修復/祝福に向けて)変わるのです。

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Sarah:

 

『言葉によらないコミュニケーション(言葉には直接表されていないコミュニケーション)の方がより影響力が強いのです。』

ヒロ、わたしは まず ここ{上記の文章}で 既につまずいてしまいました。

これを読むと、あなたのメールがうれしいサラより、あなたみたいに あまりメールをしたがらないヒロのほうがより良い(理にかなっている/正しいコミュニケーション)と言われているみたいで、わたしは カナシクなりました。

「言葉」を交わしあうことは喜びだったのに

また、あなたは 以前、ヒロとpublicにメールをかわすように指示したのではなかったのですか?

最近は『神の意志』に サラを入れてくれなくなりましたが、それは こういう理由からだったのですか?

 

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Hiro:

それは誤解です。

 

では「真意がより分かり易い言い方」を探しましょう。

サラのメールは大変嬉しくありがたいです。

「言葉やメールによるコミュニケーションが正しくないもの(正しくないもの)である」と言っているのではないのです。

「聖霊とのコミュニケーションは日本語や英語(人の言葉)ではない」が言いたいことの一部でした。

言葉を使ったコミュニケーションであっても、本当に伝達されるものは言葉には収まりません。 言葉から解き放たれて広がっていくものです。

それをSarahがHiroに教えてくれているのです。

 

彼は言葉によるコミュニケーションをあまり信頼していないから。

だからサラがHiroに「必ずしもそうではない」と教えているのです

言葉によるコミュニケーションが無駄なわけではないとサラがHiroに教えているのです。

 

 

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Sarah:


『彼は言葉によるコミュニケーションをあまり信頼していないから。
だからサラがHiroに「必ずしもそうではない」と教えているのです。』


ここに{その}ひとつの例があります。
昨日それ、つまり「言葉」によるコミュニケーションがいかに サラを平和にしてくれたか、のとても わかりやすい良い例です。
去年4月に ヒロが自分で、改めて読者と話す機会を設けたこと、これを使って、わたしは説明したいのです。

わたしは あなたが 何も言わずつまり 言葉で わたしに語ることを飛び越して、あなたが何も言わず、淡々と その準備を整えている(行動だけを見せている)のを見たとき、正直な感情として、わたしはとても動揺しました。

ええ?!
サラがあれほど わたしなりに この集いにベストを尽くしたつもりだった(特に。わたしの知人だけに限定しないオープンなものにしなければと)、そんな時間が実現できたはずと思ったけれど

けれど、しかし、ヒロはこれを不足としたのかしら?
あまり これは大したことなかったんだね。

だって この集いが終わったと思ったら、さっそく部屋に帰り、こうしてパソコンを開いて、ご自分で、また新たに読者に呼び掛けているのだもの。

……
。それって ちょっとデリカシーがないのでは、とサラがかなしい気持ちになるのも少しはわかってくれてもいいのでは?”

これがサラの正直な気持ちでした。

でもあれから一年たった昨日、初めてわたしがヒロを誤解していたことがわかったのです。

なぜなら、あのとき なぜ 自分でもそのようなことをしたいと思ったのか、言葉を使って
サラに話してくれたからです。

わたしは初めて言葉をヒロからもらい、一年たって ようやくヒロの行動の真意を知ることができました。

わたしがあのとき以来、彼に抱いたままだった否定的な感情、もちろんわたしの思い込みだったにせよ、とにかく ヒロの本当の気持ち(意志)がわたしに届いたのです。

わたしは ヒロの言葉を昨日もらったとたん、自分を恥じました。
ヒロに申し訳ない気持ちでいっぱいになりました。

そのヒロの「言葉」はわたしを幸せな気持ちにしたし、何より ヒロを素晴らしいとわたしは改めて称えました。

あの時ひとこと サラに添えて、あの行動を見せてくださったら、どんなに良かったかと……

それを彼に望むのは良くないでしょうか?

いえ、やはり わたしは 言葉が欲しいときもあるのですとヒロに言いたいです

 

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Sarah:

communicationという英語には、キリスト教?で使用される特定の意味もあることを、

一昨日 わたしは初めて知りました。

ラジがstudyで話していた「霊的コミュニケーション」より、それは もっと形式的というか
儀式的な感じが強かったです。

聖体はいりょう? 聖餐に預かる?

わたしはcatholicの学校ではなかったので これらは知らないのですが、いずれにせよ、教会と関連した言葉も、このcommunicationにはあるのですね。


逆に言えば、コミュニケーションとは、そもそも 霊的な言葉とか物とかではない、それを超えた 交わり、伝わりみたいなことから出来た言葉のようでした。


そして、ヒロが今日 話してくれていることを読みながら思い出したラジのstudyがありましたよ。

たしか『兄弟姉妹に向き合う(話す)前に、まず聖霊を向きなさい(聖霊とこそ、話しなさい/聖霊を聞きなさい)』たしかこんな内容を以前 ヒロが訳してくれていました

 

2/07/2013

ひとつの世界


もちろん世界はひとつで分離はしていない。

では何故二つの世界があるように言い表されているのか?

 

ひとつの世界が夢を見ている。

そして夢の中では世界が繋がりを失ってお互いと争い競い対抗/対立している。

「二つの世界(世界Aと世界Bの両方)を見ている状態」が「夢を見ている状態」。

世界Bだけを見ること(神から分離した世界の中に永住すること)は不可能。 分離した世界は実存していないから。

2/06/2013

二つの世界

「二つの世界」

昨日そのように書いてそのまま放っておきました。それ以上は書けなかったのです。

 今日本屋さんで、Goldsmithの「二つの世界の間を生きる(Living Between Two Worlds)」という本を見つけました。

適当にページを開いて読むと、(二つの世界をどのように捉えるべきなのかという)私の疑問への答えが書いてあるようです。

しかし本を読むより先に答えが与えられました。

(下記がその答えです。)

 

神が全てを統治している世界、死が存在していない世界(これを世界Aと呼びましょう)

神が全てを統治していない世界、死が存在している世界(これを世界Bと呼びましょう)

 

世界Bは実在していません、しかし人々は自分達が世界Bの中に住んでいるものとして生活しています。 世界Bに合致しない考えは退けられてしまいます。

 
神への気付き(霊が存在していることの啓示)がはじまれば、あなたは(いままでよりは意識的に)二つの世界の両方を生きるのです。

世界Aは気のせいに見えるかもしれません。
世界Bが{他者との}コミュニケーションの基盤になってしまっていると考えて、気落ちしているかもしれません。

 
しかし最終的には「一つの世界(世界A)こそが自分であること」をあなたは見つけるのです。
 
あなたが人を見た時(判断停止状態から人を見ることがあなたに出来ているのなら) あなたは霊の動きを見ることが出来るのです。

 

 
書き出せるまでに随分時間が掛かりましたね。

その理由はまだあなたが正しさの証明を求めているからです。

だからGoldsmithが「二つの世界の間を生きる」という本を出していると発見し、その本を所有するまで、あなたはこの文章が書けなかったのです。
 
つまり{他の人の文章などを参照しなくては}自分の文章に対する自信が持てないだろう感じている場合、あなたは書くことを中断してしまうのです。

 

2/03/2013

流れ


二週間ほど前にシアトルでJoel Goldsmithのミーティングに初めて参加し、そこで二人の女性にお会いしました。 

お二人とも30年以上に亘ってGoldsmithの著作に親しんでいらっしゃるそうです。

 

ミーティングが始る前に私が質問をしました。

「残されたテープを聴く限りではGoldsmithはヒーリングを物凄く重要視しているようですが? {こちらではヒーリングをなさるのですか?}」と尋ねようとしたところ。

一人の女性から『Goldsmithにとってのヒーリングは物質的なものではないんですよ!』と質問を遮られるような感じで言われてしまいました。

それに対して私は「物質に対して働きかけるのではないのだ、しかしヒーリングのFrutage(結果)は確かに得られるのだ、とGoldsmithは言っているようですが?」と返しました。

するともう一人の女性が『まず今日のテープを聴きましょう。答えはそこにおのずと表れているでしょうから。』と言いました。

 

ミーティングの内容は、まず瞑想を20分程行い、それからGoldsmithのテープを聴き、それからまた瞑想しました。

 

二回目の瞑想が終った後で、初めの女性が私の前に立って「答えは全てあなたの中からやってくるから、その答えを受け取りなさい」と言いました。

その女性の上から下に川(泉)が流れていました。

私は川に向かって「わかりました」と言いました。

あなたは私の声を「自分だけに聞えているものだ」と思い私を遠ざけているので(だからあなたは私の声を妄想と怖れているのです)、だからあなたはGoldsmithのオーディオを聞いており、「彼が聞いていたこと」が「あなたの聞いていること」から遠くはなれていないことを確かめているのです。
 
最終的には、あなたはGoldsmithのテキストやオーディオからは離れて、あなたに聞えていること(私があなたに言っていること)を話すのです。

あなたが求めているものは(Goldsmithのオーディオを通して得られていないものは)説得力(デモンストレーション)ですが、体現を通してそれをあなたに示してくれる人が現れます。

このテキストを取っておいてください。あなたがこれを気のせいと考えてしまわないように。

 
Goldsmithのオーディオがあなたに教えてくれたことは「罪悪も神もPersonalではない」です。

{罪悪がPersonalなものとして表れていても罪悪をPersonalに作ることは不可能。 と同時にあなたは神から離れては居ないので神とあなたの関係は親密なものであって、しかし神はUniversalで個人的/局部的なものとしては存在していない。}

この部分を上手く言い表せなくてもかまいません。 これを上手く言い表せても上手く言い表せなくても、それは違いをもたらしません。

 
しかし、このことに関してあなたは既にシフト(知覚/世界の変容)を体験しているので、Goldsmithが何を言おうとしていたか「わかる」のです。

このシフトは家族やアメリカに対してだけでなく、世界に対しても起こるのです。

 
{こういう文章を出して、もしデモンストレーションしてくれる人が現れなかったらオレはどうしたら良いのよ? でもアップしないと苦しいから、アップしちゃえ!  間違っててももうどうでもいいよ。}



{アー、アップしたら楽になった。 取り合えず楽になったからOK。}